それは、穏やかな日曜の昼下がりのことでした。リビングのソファで微睡みながら、読みかけの本に目を落とす。排水口を交換した水道修理には島本町で窓から差し込む柔らかな日差しと、遠くで聞こえる子どもたちの笑い声。これ以上ないほど平和な日常が、次の瞬間、音もなく崩れ去ることになるとは、その時の私は知る由もありませんでした。 ふと、視界の隅に違和感を覚えて顔を上げると、真っ白だったはずの天井の一角に、薄茶色の、まるでコーヒーをこぼしたような小さなシミができているのです。最初は、ただの汚れか、あるいは目の錯覚かと思いました。しかし、瞬きを繰り返しても、そのシミは消えるどころか、まるで生き物のように、じわじわと輪郭を広げているように見えます。プロの専門にして洗面所修繕の香芝では、その中心から、一滴の水が生まれ、重力に従ってゆっくりと床のフローリングに落ち、「ポツリ」と小さな音を立てた瞬間、私の心臓は凍りつきました。 「水漏れだ…」。頭の中が真っ白になり、血の気が引いていくのが分かりました。ここはマンションの7階。原因が我が家にあるはずがなく、ほぼ間違いなく、真上の8階から漏れてきている。しかし、だからといってどうすればいいのか。いきなりインターホンを鳴らして「水が漏れてます!」と叫ぶべきか?いや、もし留守だったら?パニックと混乱の中で、私の思考は完全に停止寸前でした。 しかし、ここでただ狼狽しているだけでは、事態は悪化の一途を辿るだけです。私は震える手でスマートフォンを掴み、まず最初に取るべき、そして最も重要な行動に移りました。それは、物件の「管理会社」へ連絡することです。集合住宅におけるトラブル対応の絶対的な鉄則は、個人間で直接やり取りを始める前に、まず中立的な管理者である管理会社に第一報を入れること。彼らは建物の構造を熟知し、上階の住人への連絡や、緊急時の業者手配といった、その後の全てのプロセスを円滑に進めるための、いわば「司令塔」の役割を果たしてくれるのです。 管理会社に状況を伝えると同時に、私はもう一つの重要な行動を取りました。それは、「被害状況の証拠保全」です。天井のシミが広がっていく様子、水滴が落ちる瞬間を、スマートフォンの写真と動画で、日付と時刻が分かるように記録します。そして、濡れては困るソファやテレビを部屋の隅に移動させ、水滴が落ちる真下に、大きなバケツを置きました。これらは、後の修理費用の負担や保険請求の話になった際に、被害の規模を客観的に証明するための、何よりの証拠となるのです。 数十分後、管理会社からの連絡を受けた上階の住人と、管理会社の担当者が、神妙な面持ちで私の部屋を訪れました。原因は、上階の洗面台の下にある給水管の接続部が、経年劣化で緩んでいたことでした。上階の方は、何度も頭を下げ、ただただ恐縮するばかり。責めたい気持ちがなかったわけではありませんが、ここで感情的になっても何も解決しないことを、私は必死で自分に言い聞かせました。 本当の戦いは、ここからでした。濡れてしまった天井と壁のクロスの張り替え、そしてもしかしたら内部の石膏ボードの交換も必要かもしれない。その修理費用は、一体誰が負担するのか。ここで登場するのが、加害者側が加入している火災保険の「個人賠償責任保険」という特約です。これは、日常生活で誤って他人に損害を与えてしまった場合の賠償金をカバーしてくれる、マンション住民にとってはまさに「命綱」とも言える保険です。 幸いにも、上階の方はこの保険に加入しており、保険会社を通して、私の部屋の原状回復費用が支払われることになりました。修理業者の手配から見積もりの提出、保険会社との折衝まで、全てが完了し、我が家のリビングが元の姿を取り戻すまでには、実に1ヶ月以上の時間と、多大な精神的労力を要しました。 この一件は、私に、マンションという共同体で暮らすことの重みを、骨身に沁みて教えてくれました。壁一枚、床一枚を隔てて暮らす私たちは、良くも悪くも「運命共同体」であり、いつ、誰が、被害者になっても、そして加害者になってもおかしくないのです。この悪夢のような経験から私が学んだ教訓は、万が一の事態に備え、自分自身も「個人賠償責任保険」に必ず加入し、その補償内容を把握しておくこと。そして、トラブル発生時には、決して感情的にならず、管理会社という司令塔のもと、証拠保全という武器を手に、然るべき手続きに則って冷静に行動すること。それこそが、理不尽なトラブルから、私たちの平穏な暮らしと財産を守るための、唯一にして最善の道筋なのだと、私は固く心に刻んだのです。